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2021年8月16日

墓参り

8月16日(月)、午前中に墓参りへ行ってきました。
昨年同様、子どもたちは帰省していないので、
夫婦二人で墓参りしました。
最初に妻の家の墓へ行きました。
墓の傾いているようで、少し心配です。
妻の家の墓

続いて、五十嵐家の墓へ行きました。
子どもたちも上越にはいないので
いつまで見守れるだろうかと心配です。
五十嵐家の墓
お墓の今後について考えておかなければいけないと思いました。


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2020年10月25日

上越市吉川区善徳寺さん

10月18日(日)、妻の友人の紹介で
上越市吉川区善徳寺さんの経堂を見せて頂きました。
庭の苔も手入れされ、素敵な空間でした。
善徳寺

真宗大谷派横田山善徳寺さんの歴史について。
住職の横田家初代である源八さんは、
甲州武田信玄の家臣であったが、兄弟3人で越後に来て
越後国三島郡苅羽之荘折居村(現新潟県柏崎市折居)で
仮住まいを経たのち1560年頃に国田に到り、
善徳寺(真言宗高野山の末流で春日山上杉家の祈願所であった。
上杉景勝の会津移封に従い移転した。)の許しを得て現在地に
居を構えたと「横田家代々申し送りの文」等に記されている。
言い伝えでは長兄は現在の柏崎市阿相島に、
次兄は吉川区川谷に、末弟の源八が国田に土着したとのことである。
源八は国田に来たときにはすでに本願寺八代蓮如上人の名号を
持っていたと伝えられているが、浄土真宗に改宗の休善に
深く教化を受けたものと思われる。
休善は1598年に上杉移封に伴って善徳寺が移転した後、
1606年に現境内地に道場を建て、源八と浄土真宗としての
善徳寺再興を誓い合ったと伝えられている。
横田家は次第に地主として財力を蓄え、七代目惣兵衛の二男重蔵が
上越市三和区本郷の西勝寺の弟子(法名利観)となり
1773年に横田家の屋敷内に道場草庵(現在の本堂)を開いた。
利観死亡後は、惣兵衛が剃髪、善照と改名し道場に入り、
1780年に東本願寺から寺号を得て善徳寺を創建した。
こちらの経堂は、平成27年8月4日に登録有形文化財に指定される。
そこに施されている彫刻などを見せて頂きました。
繊細なタッチで造られた龍の彫り物は、芸術品です。
彫刻

今、この経堂は、修復作業中で屋根の銅版も張り替えられるそうです。
屋根の銅版
他にも天井絵などを見せていただき、
有意義な美術鑑賞となりました。


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2016年7月30日

義理母の法事

7月3日(日)午前11時より妻の実家で義理母の法事を行いました。
8月には、取り壊す予定の家で親戚一同が集まりました。
義理母の法事

40分ほど、お寺さんよりお経を読んで頂きました。
暑さもほどほどで、集まった親戚もしっかりお参り出来ました。
義理母も空の上で見ていたことでしょう。
お経が終わって上越市仲町の富寿司さんでお斎を開きました。
親戚は、皆高齢者で沢山のごちそうが食べられません。
お斎のお料理、もっと少なくて良いなあと思いました。
お斎のお料理

最後に茶飯とおぼろが出てきます。
これまでに沢山食べているので、みなさん口に入りません。
茶飯とおぼろ
給仕の人も少ないためか、お酒もお料理も出てくるまで待ちます。
食べ終わったお皿は、すぐには、かたづけてもらえません。
私が手伝おうかと思いました。
こんなに気を遣うのなら、自分の家で
自分が給仕した方が良いなと思いました。
法事、学ぶことが多いですね。


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2012年5月 9日

仏前結婚式

4月15日、私の従兄弟が仏前結婚式を挙げました。
彼の家は、お寺ですから当たり前ですが、
仏前結婚式は、珍しいのでちょっと、感動しました。
普通なら、参列者も畳に座るのですが、
高齢者が多かったので、小さな椅子で失礼しました。
仏前結婚式

この後、披露宴が行われたのですが、
まずは、部落の皆さんをご招待して
お寺の本堂で祝宴をあげました。
小春日和の良き日で、参列者も喜んでいました。
この披露宴が、非常に良かった。
村の衆が、祝いの歌をアカペラで歌うのです。
次から次へと、一人だったり数人だったりして。
誰が指名するわけでもなく。
ビデオ撮りたかったなあ。
披露宴
親戚筋は、村の衆の披露宴が終わってから、
直江津駅前のホテルで披露宴を行いました。
この時は、音楽付きで歌を歌ったのですが、
何だか、村の衆の歌をまた聴きたくなりました。
誰か、結婚しないかなあ。


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2008年3月11日

長野へ旅行してきました。3

2月第2週の土日は、毎年、同年代の仲間と厄払い旅行をしています。
今年は、2月9日~10日の2日間、長野へ旅行してきました。
その様子を4日間に渡り、お送りしております。その3です。

2月10日(日)午前7時過ぎ
朝日を浴びた戸倉上山田の街:前日の雪が、辺りの景色をより美しく輝かせていました。
清々しい朝でした。
朝日を浴びた戸倉上山田の街白く雪化粧した山々:朝日を浴びて、よりいっそう美しく輝きます。
白く雪化粧した山々前日降った雪は、綿雪の様相で、あたりを包み込みました。
ベランダにあった、椅子の雪は、ふっと息を吹きかければ、飛んでしまいそうでした。
綿雪の様相撮影した後、朝食前に、ひとっ風呂浴びて、気持ちよかったです。
朝食後、宿の方に、長野善光寺まで送って頂きました。
待っていたのは、雪景色の善光寺でした。
雪景色の善光寺ここ何年も同じ時期に善光寺に来ていますが、雪がこんなにあるのは、初めてです。
長野は、寒いところですが、意外に雪が少ないところです。
雪景色の善光寺も綺麗です。
善光寺でも、お参りします。
善光寺最近まで、大改修が行われていた山門(三門)をやっと見る事が出来ました。
今回の改修により、建立当時と同じ栩葺き(さわらの板)の屋根に復原されたそうです。
中央の善光寺と書かれた額は、「鳩字の額」と呼ばれ、3文字の中に鳩が5羽隠れているそうです。
山門(三門)善光寺参りも済むとお昼の時間でした。
昼の食事を取るため、長野市の町並みを歩きます
長野市の町並み長野市は、色んな規制をして、景観を守っているようです。
いつも、新しいが、落ち着く町並みです。
ほっと出来る風景が、観光客を呼ぶのでしょうね。
明日は、帰宅道中をお送り致します。

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